すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。
神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。
悪を避けて善を行い、 平和を求めて、これを追え。
あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
こういうわけで、平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求めようではないか。
人の道が主を喜ばせる時、 主はその人の敵をもその人と和らがせられる。
そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように。
しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。
悪を離れて善をおこない、 やわらぎを求めて、これを努めよ。
愛する者よ。悪にならわないで、善にならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者である。
あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。
「義を追い求め、 主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。 あなたがたの切り出された岩と、 あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ。
肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。
柔らかい答は憤りをとどめ、 激しい言葉は怒りをひきおこす。
そこで、もしあなたがたが善に熱心であれば、だれが、あなたがたに危害を加えようか。
塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい」。
わたしは久しく平安を憎む者のなかに住んでいた。
このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにして、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。
争いの初めは水がもれるのに似ている、 それゆえ、けんかの起らないうちにそれをやめよ。
生きている限り、きよく正しく、 みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。
そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。
だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
見よ、兄弟が和合して共におるのは いかに麗しく楽しいことであろう。
さばきは正義に帰り、 すべて心の正しい者はそれに従うでしょう。
悪をもって善に報いる者は、 わたしがよい事に従うがゆえに、わがあだとなります。
わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、 わたしは肉を離れて神を見るであろう。
その時、彼が神に祈るならば、神は彼を顧み、 喜びをもって、み前にいたらせ、 その救を人に告げ知らせられる。
そこでヤコブはその所の名をペニエルと名づけて言った、「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」。
そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。
わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。
だから、「彼らの間から出て行き、 彼らと分離せよ、と主は言われる。 そして、汚れたものに触れてはならない。 触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。
キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。
エフタはまた使者をアンモンの人々の王につかわして、